4月からの新社会人生活に向けて、
大輔が一人暮らしのために、
家を出発していった。
大学も下宿だったから、
18の春に、
一旦子離れしたつもりだったが、
4回生の秋、
通学が月に数回になるからと、
自宅に戻って来て以来6ヶ月、
一緒に過ごすうちに、
また大輔が家にいることが
当たり前になってきていた。
「行ってらっしゃーい」と、
そんなに気負いもなく
送り出したつもりだが、
朝から、なんだか所在無く、
意味もなくあちこちを掃除したり、
片づけたり。
息子たちのリネン一式、
4回分の洗濯機を回したり、
紅茶のポットを磨いたり、
ベランダを掃除したり、
引き出しの中を片付けたり、
カーポートを履いたり、
117に仕込んだ白味噌があったんだったと、
311の今日、仕上がりを確認してみたり、
なんでか紙袋を整理したり。
そして引越し業者さんが来てくれて、
荷出ししたあと、
綺麗に片付けられた
ガラーンとした部屋を見た時には、
さみしいという感情は少し薄れ、
”覚悟”に近い感情。
18の春もそうだった。
これから彼は一人暮らし。
何かあった時に、
いざとなればいつでも駆けつけるけれど、
基本、自分の力でなんとかしていく。
それでいいんだと思う気持ちだ。
覚悟、とも思えるし、
信頼、かもしれない。
とても心配性だった私に、
小学校の難聴学級の先生が言った。
「彼には彼の人生。
お母さんにもお母さんの人生があるんよ。」
それを聞いて、
障害がわかった時に医師から言われた、
「医学ではどうしようもないけれど、
お母さんさえ頑張れば、
彼の言語力は伸びるから。」
と言われた”呪縛”から、
魔法がかかったように、
ふっと肩の力が抜けて楽になったことを、
昨日のことのように覚えてる。
人の輪の中で、
誰かと一緒に幸せ、ももちろんいい。
でも自分で自分を幸せにできる人でも、
いてほしい。
とにかく幸せに。
願いはそれだけ。
月末には次男も、
アメリカへ出発する。
いよいよほんとに、
”お母さんにもお母さんの人生”なのかな(*˘︶˘*)