大輔の弟、成人です。

「僕も聴こえなく生まれていた方が・・・」
そう言った次男に、私は言葉を失いました・・・。

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子どもたちが小さい頃の私を知っているママ友は、
「よく怒ってたよねー」という。

それを知らない人たちは、
「尾庭さんが怒るのが想像できない」という。

いやーーーかなり怒ってました。
だって、こういう状況が日常茶飯事。

下の子を保育所に連れていって、
上の子と毎日聾学校に行かないといけないのに、
朝からこんな感じ。

実家は遠く、夫は企業戦士で、
ほんとに孤軍奮闘でした。

出かける時間が決まっているときに、
これをされたら、まぁふつう、
ニコニコしてられないでしょ。

ほんまに悪かった。この二人。笑

なぜ写真を撮っているかというと、
決して余裕があるわけではなく、

私たち聴覚障害児の親は、
絵日記を毎日書かなくてはいけなくて、
今のようにデジカメやスマホがないから、
こういう衝撃的(笑)なものは
カメラで撮ったものを現像して、
後日、それを見ながら、
絵を描いていたのです。

絵が苦手な私は本当に毎日、
絵日記も大変だった。

子どもたちを寝かしつけたあと、
そのまま眠りたいカラダにむちうって、
起き上がって、描く。

その絵日記を、翌日、聾学校で見ながら、
言葉を教えていくのです。

「これ、小麦粉、だよ。
ピザをつくったり、ケーキを焼くときにつかうね。

それを康介は、ばらまいたんだよ。
おかあさん、おこったよねー
弟はわんわん泣いたね。

このあと、どうやってお片付けしたっけ。
そう。とにかく動かないで。っていって、
お母さん、まず弟から、どけたよねー」

みたいに、ひたすら息子の目をみて話続ける。

あいづちも、何もないけれど、
彼の心に言葉が届くことを信じて、
ひたすら話続ける。

そうやって、
”言葉のシャワー”を毎日浴びながら、
聴覚にハンディのあるこどもたちは、
言語を習得していくのです。

そんなお兄ちゃんとのやりとりを、
ずっと見ていた次男の成人式がもう目の前。

この間、次男が言いました。
「僕も聴こえなく生まれていた方が、
お兄ちゃんは気楽だったのかなと思ったことも、
あったんだよね。」

ハンディを持つ兄弟を持つ子どもにこそ、
しっかり寄り添う。

それは鉄則だと思っているし、
できるだけ意識してきたけれど、

そんなことを思っていたなんて、
そんな風に思っていたなんて、
思ってもいなくて、

どれだけ複雑な気持ちとともに、
彼が成長して来たのかと思うと、
それは私の想像をきっとはるかに超えるもので、
返す言葉が見つかりませんでした。

そしてそのあとも彼は言葉を続けて、
私が死ぬまでに聞けたら嬉しい、
と思っていたことを言ってくれました。

だからもう私、
死んじゃうのかと思ったぐらい。

この連休は、
神戸にはもう実家がない友達と帰るから、
一緒に泊まらせてくれと次男から。

そのお友達の親御さんにも、
同じように、たくさん想いがあるはず。

大人への出発式。
次男も、そのお友達も、
しっかり見届けたいと思っています。

こんなに小さかった彼らが、もう大人。
立派に成長してくれた。
ありがたく。そして誇らしく。

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