障害を持つ子よりも、そのきょうだいを。

わたしはその言葉を聞いた時、
わたしが、もう、
死んじゃうんじゃないかと思った。

それぐらい、人生をかけて、
伝えたかったことが、
もう伝わっているんだなと感じたから。

さかのぼること19年前。
次男が生まれた時、
長男の療育の先生から
一番に言われたのは、

「障害のあるお兄ちゃんには、
意識せずとも手も目もかける。
だから、これからは次男くんの方に、
意識して気持ちを向けるぐらいで、
ちょうどいいからね。」

その言葉をわたしはずっとずっと、
心の真ん中に置いて子育てをしてきた。

美月ここねとして、
『だいじょうぶ〜心の声が聴こえるよ』を出版したが、
それは主に、長男とのエピソードが中心だった。
3版を刷ろうかどうか考えている時に、
ふと思ったのは、

わたしには、長男と同じように、
愛情をかけて育ててきた次男がいる。

障害を持つ兄弟がいる子供って、
障害を持つ子供よりも、
実は沢山いるわけで、

その子たちにかけている愛情も、
親にとっては等しくかけがえのないもので、

現在子育て中のお母さんたちの中には、
その部分で悩んでいる人もいるわけで。

ここね本の3版をする前に、
ここね本の2冊目として、
次男とのことを綴った本を書こうかなと、
思うようになった。

彼への愛情は、
主に6年間毎朝作ったお弁当に
集約されていた気がしていて、

それはただ単に、調理、ということではなく、
そこに込めた想い、リアルなその時の感情の交流、
エピソードなども含め。

FBやブログでもたくさんの方に観ていただき、
レシピ本が欲しいというお声も、
一人や二人ではない。

レシピを紹介したいわけではないけれど、
少しそれも絡めて、
書いていけたらな、と思ったり。

下宿先から帰ってきた次男が、
晩御飯を食べながら、昔話をしてきた。

小さい時は、
字幕がついているものしか見れなかったから、
(当時は字幕付きは少なく、
また字幕がついていても、
本人たちが幼すぎて、読めなかったりするんだけど。)
アニメも見れなかったし、
映画も我慢しなくちゃいけないことが多かった。

お兄ちゃんのせいで、って思ったことも、
なんどもあった。

だけど、

「小さい時はわけわからんと、
お兄ちゃんの障害のことでケンカしたり、
お母さんに無茶言ったりしたけど、

僕は、お兄ちゃんと同じように
大切に育ててもらったって思ってる」

これを聞いた時、
わたし、もう死んじゃうんじゃないかと思った。

確か、肉じゃがか何かを
頬張っていたときだ。

人生をかけて伝えたかったこと。
それがもう、伝わっているんだなと感じた。

次男が、まだ言葉を発する前に”喋った”のは、
手話での、”おいしいねー”だった。
そんなことも、わたしにとっては、
人生の中の宝石。

ここね本の2冊目。
まだアイデア段階だけど、
色々なかたに話をしているうちに、
きっと、爆発的な力が湧いて、
急に進むような気もしている。

その時は、どうぞ力を貸してください( ˘◡˘ )♡

写真は、18年ほど前の息子たち。
小さなおててで”おしゃべり”していることが、
たまらなく愛らしく。

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