次男の作文

「なんで僕のお兄ちゃんは、
こんな人なんだろう。」

その作文は、
そんな出だしで始まっていました。

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話しかけても聞いてくれない。
借りるDVDは字幕つきじゃないといけない。

でも、僕がそのことを、
喧嘩した時などに言うと、

母はとても悲しそうにこちらを見るのだった。

その時僕は、お兄ちゃんが、
難聴者だとは知らなかった。

(中略)

ぼくが初めて、
お兄ちゃんの耳の病院に行ったときのことだった。

何をするのだろうと思い、のぞいてみると、
発音の練習をしているところだった。

普段ぼくたちが、普通に話せている
”あいうえお”などの練習をしているのだった。

耳で聞いて練習はできないので、
先生の口をみて発音するのだった。

僕はこのことにショックをうけた。

どうしてお兄ちゃんは、
健聴者に生まれてこなかったのか。

どうしてお兄ちゃんが選ばれたのか。

ぼくがそう思っても、
お兄ちゃんがそう思っても、
誰も責めることはできない。
やるせない気持ちでいっぱいだった。

でもぼくは、
そんなお兄ちゃんを尊敬している。

自分が聞こえなくても八つ当たりせずに、
必死に練習しているところがかっこいい。

でも、必死にがんばっても、
テレビや映画などすべてがわかるわけではない。

そのために字幕があるのだが、
ついてない場合も多い。

僕は絶対に字幕をつけたほうがいいと思う。
聞こえないひとにも、
テレビや映画を見る権利はあるのだから。

みんなが平等に見れるようにした方が
いいと思うから。

(中略)

耳の聞こえにくい人や、
目のみえない人に、
こころづかいができる人がいる。

そういう人が目立つ世の中ではなく、
できない人が目立つような世の中にしていきたい。

僕はそういう気づかいができる人になりたい。

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これもういらないから、
捨てておいて。

と、

次男から預かった書類に、
目を通していて発見した作文。

普段会話もほとんどなく、
男兄弟って、こんなんか?

と少し心配すらしていたのですが、

次男のこころに、
こんな気持ちが育っていたことを初めて知り、

読みながら涙ぽろぽろ、でした。

親の知らないところで、
子どもはぐんぐん成長している。

写真は7、8年前の彼ら。
(今からだと11、12年前の彼ら。)
この頃はほんとによく喧嘩してた。

でも、多分この頃に、
次男のこころは、
作文にあるようなことを感じてたはずなのです。

もっと信じてもいいのかも。
もっとまかせてもいいのかも。

そんなふうに思いました。

うれし泣き。
こころがじーんとあったかく。

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上記は4年前の投稿で、
上がって来た記事です。

色々な特性を持った人たちが、
より住みやすい社会になりますように( ˘◡˘ )♡

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