手話通訳は、聴こえる人のためにもある。

「手話通訳は、
聴こえる人のためにも必要なんだ。」

 

どきっとしました。
そしてそこに明確に、
想いが至っていなかったことを、
とても恥ずかしいと思いました。

コミュニケーションは双方向。

伝えたい人がいて、
わかりたい人がいる。

わかりたい人のためだけに通訳がいるわけではなくて、
伝えたい人にとっても、
通訳は必要なのです。

ちょっと考えたら当たり前のことなのに、
どうしてそう、
はっきり認識できてなかったんだろう。

外国語の通訳などだと、
当たり前の認識なのに。

手話だって言語。
わかりあいたい人と人。

以前、難聴の友達にノートテイクを頼まれました。

その市では、
病院、役所関係の付き添いなら手話通訳を派遣するが、
趣味に関しては派遣できない、と言われ、
そういう場合、
自分で通訳を探して御礼をするそうです。

伝えたい人がいて、
それを知りたい人がいる。

両者にとって必要なのが通訳なのに、
どうして聴こえにくい人だけが、
通訳への御礼を負担しなくてはいけないんだろう。

そんなことを、
20年も聞こえにくい息子を育ててきて、
気づくことができていなかった恥をさらすようで、
穴があったら入りたいぐらいの気持ちですが、

わたしが恥をさらすことで、
誰かの心に届くものが少しでもあるなら、
と思い、記事にします。

聴こえにくい息子のために
手話を学ぶんじゃなくて、
自分が伝えたいことを
伝えられるようになるために学ぶ。

そこははっきりしていたのに、

手話通訳士にかかる費用について、
公費で派遣されない場合、
個人が負担していることに対して、
疑問に思わなかった自分が恥ずかしい。

手話通訳は、
聴こえる人にとっても必要なものなのです。

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写真:橋本和典  長男とわたし

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