仕事で降り立った大阪市営地下鉄の駅。
この地下通路、毎日ママ友達と、
当時幼稚部だった子ども達と歩いたなー。
っていうか、
抱っこ抱っことせがまれて、
「歩きなさい!」と言うか、
歩いたと思ったら走り出して、
「待ちなさい!」と追いかけるか。笑
懐かしいなー。
と思っていたら、
改札口で、
下校する小学生の子ども達に、
手話で話しかけている
先生らしき人がいた。
今も、聾学校の子供たちは、
この駅を毎日通っているんだ。
ちょうど先生は子ども達を見送り、
地下通路で横に並んだ。
がまんできず、話しかけた。
「聾学校の卒業生の母なんです。」
当時の幼稚部の大恩師が、
地域の幼稚園への転勤のあと、
この春に戻ってきておられることを思い出し、
ぶしつけだったけれども、
名刺を託した。
そばに来ました、
ということだけでもお伝えしたくて。
仕事が終わり、
スマホを見ると、
その大恩師からメールが入ってた。
よかったら電話ください、と。
結局次の予定までの40分、
聾学校に先生を訪ねて行った。
先生はなんと、
私に連絡をとろうと、
1週間ぐらい前からメールをし、
(そのアドレス、今使っておらず><)
その日の朝も、
もう一つのアドレスにメールを下さっていたとのこと。
(朝早く出ていたのでPCメールチェックできず。)
そんなことは全く知らずに、
面会に行ったので、
っていうか、
名刺を託しただけなので、
なんというタイミング!と
二人で鳥肌たちました。
先生からのお願いごとも伺い、
私はなつかしい幼稚部の校舎で、
大好きな先生と逢えて、
やっぱりあの時、
見ず知らずの方とはいえ、
話しかけて名刺を託して大正解だったw
毎日、必死で、
聴こえにくい子どもに向き合ってた。
折れそうになったり、
壊れそうになる母親たちを、
先生がたは、がっちり支えてくださっていた。
やるべきこと、
やった方がいいこと、
それを見失わずに、
でも労りや、ねぎらいの気持ちをもって、
支えてもらったから、
ここまでやってこれたと思っています。
想像力と思いやり。
それを忘れず、人に接したいし、
言葉をつむぎたいと思います。
絵は苦手なのに、
言語の発育のために、
毎晩描き続けた絵日記。
必死に頑張ったあの時期にも、
花まるです。