新しい時間を、一緒に刻んでいけたら、嬉しい。

生後11か月で先天性高度難聴と診断。
その息子の初めての誕生日に、
母がプレゼントしてくれた鳩時計。

それからずっと、
何回引っ越ししても、
リビングで、時を刻んでくれていました。

同じマンションの同じ年頃の子を持つ
ママ友達が遊びに来ていたとき、
ぽっぽっと、出てくる鳩を、
嬉しそうに指さす子供たち。

その中で息子だけは、
ぽっぽっ、に気づかず、
手元のおもちゃで遊び続けているのをみて、
台所に駆け込んで泣いたこともあった。

その鳩は、
出ることも引っ込むこともできずになっている。

時計の読み方を覚えるために貼った、
0.15.30.45のシールも、
ずっとそのまんま。

昨年末、
18年以上動き続けていたその時計がとまった。
針がさしていた時刻は、
私が、もうこれ以上生きていても仕方ないんじゃないかと、
人生を諦めた時刻だったので、とても驚いた。

必死で修理してくれるところを探すも見つからず、
もう、仕方ないのかな、
と、気持ちの中で執着を手放したときに、
不思議なことに、また動きだした。

そしてしばらくして、
またとまったときには、

いままで長い間、本当にありがとう、
お疲れさまでした、と、
壁から外すことができました。

今は、新しいお気に入りの時計が、
新しい時を刻んでくれています。

けじめとして、
息子の誕生日の今日。

あらためて取り出してきて、
きれいに拭きました。

きれいになった鳩時計を、
なんとなく抱きしめたら涙が出てきた。

家族・親戚の中で、母だけだったんだ。
息子の難聴がわかってから、
手話を勉強してくれたのは。

そんなことも思い出して。

うれしい日なのに、
なにかとっても悲しい気持ち。

変だな。

諦めたときに、止まり、
手放して、動き出し、
いま、新しい時計が、動き出している。
新しい時間を、一緒に刻んでいけたら、嬉しい。

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