最初は英語で話しかけたそうです。
でもたぶん、
フィンランド語しか話せないおじいさん。
ジェスチャーで話しかけたら、
おじいさん、笑顔になったって。
それがとても嬉しかったと。
日本語。手話。英語。アメリカ手話。
そのどれでもないジェスチャーで、
笑顔になれた。
これ、てばなし®だよ、まむちん。
誰かが笑顔になったことを、
うれしいと感じること。
その純粋な想いをいつまでも胸に、
おいておいてほしいと思います。
息子から送られてきた写真。
撮ってくださった方、
ありがとうございます。
この様子を、
見守ってくださっていた人の目があること。
それも本当にありがたい。
そんな経験を通して、以前にも増し、
国際手話やASL(アメリカ手話)に興味をもって、
いずれ留学して学びを深めようという、
新たな目標ができ、調べ始めた長男。
ある留学サポートの会社に
メールで問い合わせたところ、
聴覚障害がある人はサポートできないと、
断られたそうだ。
聴覚障害といっても、
一人ひとりハンディの状態は違う。
電話ができないとしても、
今やスカイプもある。
状況を確認もせずに、
ニーズを把握もせずに、
ハンディがあるというだけで門前払いは、
さぞかし納得いかなかったことだろう。
その感情は、ふたをしなくていい。と伝えた。
感情はわいてきてしまうもの。
コントロールできるものではない。
その感情をしっかり認めたうえで、
聴いてくれる人に聴いてもらったうえで、
実際にどう考え、何をするかは、
しっかりと向き合う必要はある。
そこは、自分がコントロールできることだから。
世の中、思うようにならないことは多い。
いろんな学びが試される。
自分に起きる出来事に照らし合わせて、
生きた学びとしてこそ、
学んだ意味がある。
怒りや、悲しみの矛先を、
間違えないように、
していってほしいと思う。
その会社にはその会社の、
理由があったに違いない。
コントロールできないことを、
コントロールしようともがくことは、
不自然で、無意味なことなんだ、
ということを常に頭において、
犯人探しでもなく、
激情にまかせるでもなく、
でも、聞き分けのいい人を演じるでもなく、
ゴールを探る。
彼には、
反骨精神をもとに育ってほしくないと、
常に想いながら育ててきた。
なにくそ、でがんばるのではなく、
もっと高次のエネルギーに包まれていてほしいと、
願ってきた。
だいじょうぶ。
まだ人生、始まったばかり(*˘︶˘*)