手話通訳付きの講座が終わった時に、
受講生の中にいた難聴の方が、
話をしに来てくれた。
「手話通訳士の手話は完璧だけど、
私はあなたの笑顔を見ながら、
話を聴きたかった(みたかった)。
上手じゃなくてもいいから、
自分の手話で伝えてほしい。」
一瞬、嬉しい気持ちがよぎったが、
すぐに大きなショックに変わった。
私は一体何をしているんだろう。
正しい文法や、
豊富なボキャブラリーよりも、
本気で伝える努力をすることを、
伝えることを諦めない気持ちを、
難聴の息子に伝えてきたつもりなのに、
私はいったい何をしているんだろう。
14年ぐらい前になるのか。
初めて公の機関で手話を学んだ。
そのときの恩師がいる。
3、4年前に主催した、
杉浦 貴之さんのライブ。
難聴の息子にもたかさんの話を聞かせたいとおもったが、
なんせ、たかさんの話はエロい。笑
リアルに訳してもらうには若い人には気の毒だし、笑
その辺は、全部を丁寧に伝えてもらわなくてもいいし、
そんな加減ができる人は、
彼女しか思いつかなかった。
そして何より、
彼女自身ががんサバイバーだった。
だから、たかさんの話にふれてほしいと思って、
当日の手話通訳をお願いした。
手話歌パフォーマーの方も華を添えてくださって、
エロい中にも感動あり、笑いあり、涙ありの、
素晴らしい会になった。
その後、メルアドが変わったり、
タイミングが合わなかったりして、
連絡がとぎれとぎれになっていた。
それが今年の年賀状に、
電話番号が書かれていた。
そして、再発したと。
すぐに電話で連絡をとり、
会う約束をし、それが今日。
『本当に、会えて、うれしい。』
その気持ちだけで、
待ち合わせ場所に向かった。
お互いに積もる話をした。
まむちんのありがとうのうたをみせた。
あ。ちがう。おたんじょうびのうた。笑
てばなしⓇの話をした。
ふうちゃんの手話譜をみせた。
ここね本を渡しながら、けめちゃんの話をした。
大津のCODAの、尾中夫妻のことを話した。
そして、冒頭の話をした。
早速、講座の内容の即したプライベートレッスンを、
始めてくださることになった。
どれぐらいの時間がかかるかは、
始めてみないとわからないけれど、
最初の受講生は決めている。
「あなたの笑顔を見ながら受講したい。」
と伝えてくれた彼女。
先生はおっしゃった。
病院への付き添い通訳が多い中、
心掛けているのは、
どんな言葉も口角をあげて伝えること。
ドクターの言う言葉をそのまま訳すというよりも、
事実は曲げずに伝えるけれども、
本人が前向きになれるような言葉を選んで、
ドクターにも間違っていないか確認をしたうえで、
笑顔で伝えるんだと。
そんな彼女の心の通った通訳を、
頼りにしている方は多いに違いない。
日常会話は、それとなく、
なんとなく雰囲気でできるけど、
講座となると話は違う。
でも、たとえ、1年に数回でも、
1年に一人でも二人でも、
手話で私の講座を伝える機会があるならば、
これは、どんなに時間がかかっても、
大事なチャレンジ。
もう先送りにするのはやめた。
自分の手話で伝える講座。
必ず年内には、実現しようと思います。
写真は、上から順に(横に順に??)、
『本当に』『会えて』『うれしい』です(*˘︶˘*)