「あなたの笑顔を見ながら、 受講したかった。」

「ひとつだけ希望を言うとしたら、
あなたの笑顔をみながら、
受講したかった。」

今日のセミナーには、
手話を必要とされる方がいて、
手話通訳者が2名、派遣されていた。

セミナー後、
その方が話にきてくれて、そう言った。

手話通訳者の手話はもちろん正しい。
でも、温度や、トーンや、表情が違う。
言葉は正しく入ってくるけれど、
胸に響くのとはまた別だ。と。

また聴きにくるから、
自分の手話で伝えてもらえたら、
すごく嬉しい。

こうやって直接話ができると、
すごくほっとする。

と伝えてくださった。

わたしが息子に育てたかったのは、
正しい日本語もあるけれど、

どこまでも、伝えようとする気持ちや、
わかりたいと思う心だと、
いつも話をしている。

なのに私は、
正しい他の人の手話、に頼り、
自分で伝える努力を怠っているんじゃないか。

それでも、
手話が完璧になるまで、
そういう方達へ届けることをあきらめるよりは、

通訳に入っていただいてでも、
届けていくことに意味も価値もあると思っていたし、
いまもそれはそう思うけれど、

たとえば、セミナーで話す内容だけでも、
マンツーマンで教えてもらって、
自分で表現できるようにしていく努力は、
できるんじゃないだろうか。

手話を
まったく知らないわけでもないんだし。
何をあきらめているんだろ。

「あなたの笑顔を見ながら、
受講したかった。」

そう言ってくれた彼女の言葉は、
今日のわたしの一番の学び。

ガツンとやられました。

個人レッスンで、
教えてもらおうかな。

まずは自己紹介、
および、2時間のセミナーの内容から。

どのようにすれば、
自分で手話で伝えられるようになるだろう。

そのために、今日できることは何だろう。

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