「だいじょうぶ」ができるまで

ここね本は、本になるまでの経緯が、一風変わっています。
本を書こう、と決めてから出版記念パーティまで、3ヶ月しかありませんでした。
というか、出版記念パーティが先に決まっていました。

美月ここねの「したい」がどんなふうに形になっていったのか?普通の出版とは少し違った物語。お読みいただければ幸いです。

エイプリルフール成幸法

「本を出版しました」と、エイプリルフール成幸法にのっとって、フェイスブックで記事にしたのは2014年4月1日。エイプリルフール成幸法とは、マツダミヒロさんが提唱しているもので、エイプリルフールにあたかも叶っているように表現すると実現するよ、というものです。

その記事に、たくさんの方に応援のコメントをいただき、作成した申し込みフォームからは、エイプリルフールとわかったうえで、100人以上の方が、注文してくださいました。その応援メッセージをみて、本気で本をつくろうと思いました。待ってくれている人がいる。それは本当に大きな力になりました。そんな力を感じられる人でいたいし、そんな力を与えられる人でもいたいと思います。でもまだ、その時点では、どんな本を出版したいのか。どうやって出版したらいいのか、何もわかっていませんでした。

出版パーティが先に決まる

2014年6月。一緒に会社を発足したトリニティアーツのメンバーでミーティングをしていました。社長が、会社設立パーティをしたい、とのこと。創業◎周年パーティ、は聞いたことあるけれど、設立パーティってあったっけ?そもそもパーティ嫌いだし。と思いながら、するならこの会場で、と思う場所があり、役員3人が都合のつく唯一の日程に、レストランウェディングなどでも超人気のその場所が、もしもあいていたら、それは運命だ、いうことで、その場で会場に電話。なぜでしょう。3ヶ月後の、お日柄のいいその祝日。なぜか予約が取れてしまいました。。。「会社設立パーティだけだと面白くないから、出版パーティもしよう。」「誰の?」「それは今から考える」そんなやりとりにつながっていきました。

出版の先にあるもの

そういえば、「本出したい、って言ってなかった?」と、その場で言われました。確かに、本を出したいとは、ずっと思っていたので、依頼の多かったレシピ本やフォトエッセイを小冊子にして、プレゼントにしたことはありましたが、本格的な出版に踏み切るには何かが足りませんでした。が、そのときは、仲間たちと話をしているうちに、出版しよう!と決意、覚悟ができていきました。それは、目的・ゴールが出版ではなく、その先に、大事にしたい想いを見つけることができたからだと思います。「この本を手にとってくださる方が、どのような気持ちになってくださったら嬉しいかな?」と考えた時に、答えが出てきました。この本を手にとって下さった方が、子育てに精一杯向き合っている若いママだったら。母がすることは、こどもの力を信じること。母自身が楽しむこと。あなたはもう十分がんばっていること。自分をもっと大事にしてもいいんだということ。そんなことが伝わったら嬉しいな。ハンディに関係なく手にとってくださった方だとしたら、ハンディをもつ子供の親への理解やサポートといった社会風土の構築、ハンディの有無に関係なく、無理のない人生を生きるきっかけづくりを。人との関係の中で、優しい視点をもてるような、そんな気持ちになってくださったら嬉しいな。そして、自分のこととして読んでくださる方だったとしたら、自分が生きていくうえで、大切にしたいことを確認したり、人とのかかわりの中で、大切にしたことが浮かび上がってきたら最高だな。そんなことが、描けたのです。『その先』が自分の中で明確になると、大きな力になります。今、何かしたいことがある方は、是非『その先』を考えてみるといいかもしれません。

とっておきの一歩

「じゃぁ、あなたの本を出そう。期限は3ヶ月。」そういう展開になるまでに、1時間もかからなかったと思います。「本、出したいと思っているの。」今までに何度も、いろいろな所でいろいろな人に、言ってきたことでした。今までと違ったのは、話を聴いてくれていたその人たちが、「今から本屋に行こう」と言ってくれたことです。一緒に本屋にいって、どんなイメージの本を出したいのか、棚をまわってくれたのです。いろいろなプレゼントをもらうけど、この日、本屋に一緒に行ってくれたのは、最も嬉しかったプレゼントの一つです。おかげで、原稿を書く。という具体的な作業にも進むことができました。『したい、を形にする』ための、とっておきの一歩に、感謝しています。

出版社を作ろう!

書くことと、期限は決まったものの(しかも、印刷製本も入れて、たったの3ヶ月。)いざ出版しよう。となったときに、出版社や、印刷屋さん、構成や校正をどうしたらいいのか、まったくわからないのでした。もちろん、その道のプロは仲間の中にもたくさんいらっしゃるのですが、トリニティアーツのメンバーは、貴重な時間を使って、段取りをしていってくれました。出版に関しては全くのド素人集団。ド素人だけど、どこまでも気持ちは熱い仲間たちです。トリニティアーツ自体も、株式会社として設立したところでしたが、定款には出版業も明記していたので、業者として出版できるような手続きをすすめ、出版社を立ち上げてくれました。これで、次にまた「本を出したいんだよね。」という人が出てきたときに、トリニティアーツ出版で、お手伝いすることができます。支えてくれる人がいるから、あきらめそうになったときでも前に進めました。どなたかの一歩を一緒に歩めることができたら、わたしも嬉しく想います。

美月ここねの誕生

美月ここね、というのはペンネームです。本名での執筆も考えましたが、息子たちがまだ未成年だったこと。本名が、とても変わった苗字なので、すぐに誰のことか特定できることから、ペンネームで書くことにしました。『ここね』というのは、もし娘が生まれたら、つけたいと思っていた名前でした。『心の音』とかいて『ここね』。母親になる前から、心、を大事にしたいと、思っていました。が、生まれてきたのは二人とも息子だったので、『心音』は封印されていました。なので、今回、自分が『ここね』になることにしました。苗字を何にしようかなと思った直後に、『美月』という言葉がふってきました。月、は私にとって、とてもシンボリックなもので、自己肯定感をもてるようになったきっかけでもありました。美、は、わたしのコンプレックスの裏返し、憧れでもあります。このように、『美月ここね』が誕生しました。これからどうぞ、『美月ここね』をよろしくお願いいたします。

イラストレーターけめちゃんの絵

子供たちを育ててきた中に、今の自分が大切にしてきているすべてがあると感じ、その原稿を書こうと思ったときに、昔、依頼されて書いた手記があることを、ふと思い出しました。インターネットで検索をすると、依頼してくださった団体様のHPの中に、まだ残っていました。そこには難聴がわかってから小学校入学ぐらいまでの記録が、克明に残されていました。その記事をもとに、今回の本を書き始めたのですが、おおよその原案が出来上がったとき、今まで感じたことのないような、極度の体のだるさを感じました。はじめはPC疲れかと思ったのですが、どうやら違ったように思います。いろいろなものを背負って、抱え込んで、頑張り続けてきた“わたし”を、体験記を振り返ることでもう一度、体感したようなのです。起き上がれないほどダメージを受けたカラダの声を聴きながら、経験を振り返るとともに、その時のがんばりを自分でねぎらい、疲れをとる時間が必要だと知りました。そんなとき、本の挿絵を描いてくださる方が決まりました。永利紀美子さん。通称けめちゃん。それはそれは、柔らかな、あたたかな、ほのぼのとするイラストを、描いてくださいます。原稿の一部を読んでくださったときに、「あたたかさとせつなさと、小さな感情がいくつも一緒になったような感じ。」と感想をよせてくださいました。その言葉にも、けめちゃんの優しさとやわらかさを感じました。挿絵が送られてきたときに、それを見るだけで涙が出そうになりました。それぐらい、けめちゃんの描くイラストには、愛情がたっぷりふくまれています。挿絵も、是非楽しみにしていただければと思います。

マツダミヒロさんからいただいた帯の言葉

帯をどなたに書いていただくかは、出版の話が出る前から決まっていました。そう。エイプリルフール成幸法を教えてくださった、マツダミヒロさん。ミヒロさんのおかげで、「しつもん」を通して多くのことを学び、そのご縁で広がった仲間たちに多く支えてもらい、学んだしつもんを使って、自分の人生を作っていけるようになりました。いつか出版するときはミヒロさんに帯を書いていただく。それは決めていたこと。快く受けてくださり、原稿を読んでくださり、3パターンほど案をくださいました。結果こちらの言葉を帯に。「何かが足りないのではなく、それは信じていないだけ。周りにあるしあわせが見えてきます。マツダミヒロ」

ものづくりの原点

出版社ができ、イラストレーターの方が決まり、「さて。どこで印刷してもらう?」ということが次の課題となりました。とにかく何もかも初めてですから。いろいろ調べ、資料を取り寄せ、見積もりを頂く中でご縁があったのが、大阪府堺市にある「ニシダ印刷製本」さま。http://www.net-seihon.co.jp/

技術職の方だし、お忙しいし、ど素人のわたしたちが行って、仕事の邪魔になってしまったらどうしようと、内心どきどきでしたが、西田社長にアポイントをとって、トリニティアーツ出版のメンバーとともに、4人で工場へ押しかけました。西田社長は、とってもとっても優しい方で、わたしたちの、超ド素人の質問にも、あらゆる見本を取り揃えて、イチからとても親切丁寧に、説明して下さいました。紙を選ぶだけで、てんやわんやの私たち。きらきらラメってる紙がとーってもきれいで、お値段を聞くと、少々お高く、でも、わたしはそのきらきらに、確実にテンションアップ。

かきぴーは、こんな風に横でクスクス笑っていたけれど、ジャック社長は、見積もりがどんどん高くなるので、みるみるテンションダウン。そんな私たちのやりとりも、西田社長は目を細めて付き合ってくださいました。こんな暖かい方に関わっていただけて、仕上げていただけるなんて、本当に幸せです。こだわって選んだカバーの紙。帯の紙。表紙も、色紙も、本文の紙も、全部、大切に選びました。お手元に届くまで、楽しみにお待ちくださいね。オーダーをして、西田印刷さんを後にするとき、私は思わず、何十年ぶりかのスキップをしていました。振り向くとそこには西田社長が、私たちの後ろ姿をずっと見送ってくださっていました。見られた。40代のスキップ。のちのメールで、西田社長は、「何事もメールで済んでしまうことが多い中、わざわざ来られて、一つ一つ決めて、とても嬉しそうに帰って行かれた様子を見て、ものづくりの原点を思い出しました。ありがとうございました」と書いてくださっていました。

工場を見学したいと言った私に、他の印刷物の情報保護と安全性のため、それはできないけれどと、何枚も、印刷中のここね本の写真を送ってくださいました。中には、これは何かに登らないと撮れないよね、という角度のものも。暖かい西田社長のお人柄に、改めて感動しました 。

いよいよ完成・納品の瞬間

無事、印刷にまわした後も、ホッとする時間はありません。美月ここねはペンネームなので、サインの練習をしなくては。書家の友達にお願いして、サインのデザインを考えてもらい、そこから必死で練習。篆刻もいる。本の送り状やら、アンケートハガキの準備、発送資材の手配やホームページ、名刺の作成など、することは山積みです。そうやって迎えた本の受取日は、出版パーティの前日。関わってくれたスタッフのみなさんと固唾を飲んで事務所で待つこと数時間。いよいよ届いたダンボールを開けて、そこから、本が出てきた時には、「本だ。。。」と感涙。本を頼んだのでね。本ができてくるのは当たり前なのですが、一同、感動でした。

このように出来上がっていったここね本。
お手元に届くと嬉しく思います。